2008/05/26

街道をゆく──周山街道、鯖街道

2008.5.20-21
【京都府・福井県・滋賀県】

 京の北西側の外れになる高雄で周山街道を、北東側に位置する大原で鯖街道を、その道の続く先に思いをはせたことが、本旅程の動機です。

 周山街道(Map)


 京都盆地北西部の御室(仁和寺)から、高雄(神護寺)、栂尾(高山寺)を通り抜け、急峻な斜面を埋め尽くす北山杉の間をぬうように北へ向かいます。
 未読なのですが、川端康成「古都」の舞台はこの街道沿いにある中川という地区だそうです。
 ──神護寺の入り口付近にある食堂に、山口百恵主演映画の古びたポスターが貼ってあったことを思い出しました。そんな写真を撮りたいと思っていたのですが……
 今でこそ日本海側まで抜けていますが、街道の起源としては、平安京造営時に必要とされた大量の木材を運ぶためだったようです。
 後述の鯖街道の別ルート的な存在との説明を目にしていましたが、往来が盛んな街道にあるような宿場町は、見落としたのかも知れませんが目にできませんでした。
 そんな地だからこそ小説の舞台になった、とも受け止められます。
 山の風景は、どこまでも緑のとんがり帽子(北山杉)が山肌を覆っていて、伐採が終わり根本の部分が開けている場所では、きれいに枝の払われた幹がスクッと一直線に空を目指しています。
 素人目にもこれらの木々は、用途も多様そうで価値が高いだろうとも思えますが、その分世話の労力も半端じゃないことも理解できます。
 第一に山の斜面がとても急であるということ。そして、とんがり帽子のてっぺん(樹頂)がキレイな幾何学模様を斜面に描いているということは、その斜面の縦横に等間隔に木を植えて育てているということですから、並の体力では出来やしません。
 でも、森の道に入り込んでしまった時(カーナビは平気で山道を案内しますから)に車の窓を開けると、森林浴で味わえるような「森のにおい」を感じることができるので、林業は健康的であると言えるかも知れません。


 周山街道 美山(みやま)(Map)

 ここも京都府で、街道から少し東に入った「かやぶきの里」として保存されている集落です。
 ここばかりではなく道すがらにも、かやぶき屋根やその上にトタンをはった家々が目につきます。元はかやぶきの家屋が軒を並べる街道だったことと思われます。
 そんなことも含めて、この街道を往来する人の数やその職業や目的は、限られたものではなかったかと思えてきます。
 確かに冬は雪深い土地であることは想像できますし、外部に売りに出せる生産物も無かったのかも知れませんが、おそらくある程度の自給自足で生活が成り立てられるような地域だったから、このような環境が残されてきたのだと思われます。
 田舎だから、という見方もあると思いますが、このくらいの変化のスピードが、開国までの日本本来の「文化の伝搬速度」だったのではないか? とも思えます(古いものは全部守るべきだという見解ではありません)。
 良い・悪いの判断ではなく、残すのも、廃れるのも、作るのも、捨てるのも、人間が選択した「文化」であるわけですから、これまでの判断に外様があれこれ言う資格はありません。
 いまどきこの光景を見た人の多くは「残せ」と言うでしょうが、住民の選択肢が無くなるということも考えるべきではないかと、この地で思わされました。
 外から見る限りは、やはりとても絵になる風景に違いありません。




 小浜(OBAMA)(Map)

 小浜市は本気です!
 既に放映の終わったNHKドラマ「ちりとてちん」のポスターやのぼりが相変わらず並んでおり、ボロになるまで飾るんだろうと思っていると「I Love OBAMA」の似顔絵が並んでいます。
 話題は少ないでしょうから、町おこしになればなりふり構わず行動を起こした方が勝ち! とでも町ぐるみで考えているのかも知れません。
 ならば、それをどう転がしていくか?
 もし彼が大統領になって来日したときに、市役所を訪問してくれたとしたら拍手を惜しみませんし、その時には市民も喜んでくれると思われます。
 で、次の手は? と、繰り返すことが町の活気につながるのではないか、と思うのですが……

 ここの魚は美味しいですよ! この季節カニはありませんがイカや甘エビに加え瀬戸内より大型の魚の種類が多く、やっぱりこれが一番の売りだと思うんですけどね。


 鯖街道 熊川(Map)

 「京は遠ても十八里」と(でも72kmですからね)、小浜の港に上がった鯖(さば)を塩に漬け、早朝から馬車で熊川宿まで運び、そこから行商人が夜通し京都まで歩いて運び、翌朝京都に着く頃には塩加減がいい塩梅(あんばい)になったそうです。
 ここは宿場町らしい町並みが整備がされ、残されています。
 町並みの中にはずっと水路が整備されているのですが、背後に山がせまっているせいか、春だから水量が多いのか、沢から取水している流れがとても速いものなっています。
 各戸に水辺に降りる階段があり洗い物などをするんだと思いますが、そこでひとたび流されたら追いつけない速さではないか、と思ってしまいます。まあ、下流に柵などはあるのでしょうが、子どもなどは足滑らせたらおぼれる危険性があるようにも見えます。


 鯖街道 朽木(くつき)(Map)

 ここは滋賀県で、後述の琵琶湖西岸の白髭神社辺りは山が水辺にまで迫っており、むかしは陸路が整備されていなかったのではないかと推測すると、琵琶湖北側(敦賀、北陸方面)からの往来は、距離のある湖東(彦根側)を避け、水路を使うかここ朽木を通って京都に向かっていたのではないか、と思われます。
 京都に近いこともあり多方面からの通行者があったのではないかと思われ、ここは熊川とは違って宿場町から少し進んだ商業都市的性格を持っていたようにも思えます。
 右写真は昭和初期の建築物ですが「百貨店」の名前を使うなど、情報には敏感な土地柄だったのではないでしょうか。
 熊川同様に水路があり水も豊富なのですが、変化の速度が早かったためか宿場町の雰囲気はそれほど残されてはいません。

 まだ距離はありますが、街道を南に向かい県境に重なる山々を越えると京都の大原に出ます。三千院前の道が鯖街道で、そこで本旅程への思いが膨らんだこと思い出します。
 近ごろは、ここから京都にかけては「鯖寿司街道」と呼ばれるほどお店が多いのだそうです。
 はて? 「鯖」の名前がこれほど頭の中を巡っていたにもかかわらず、今回は一度も口にしなかったことに気付きました(「へしこ」も食べられなかった)。カニの季節にまた来い、ということなのでしょうか?

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